暮らしをするための生活と、豊かでいるための生活はまったくもって別物。
あたたかい部屋で眠れることがしあわせだと思える人は素敵だとおもうから、そうでありたい。
好きな観葉植物と、マーブル柄のアシュトレイ、ローベッドの足元にスタンドライトがあって、敢えて小さなテレビは部屋の端に追いやりたい。
落ちる陽が、ブラインドの隙間をくぐって切なくていつだか勤務していたテナントは西陽がよくさして、眩しかったことを思い出す。
懐かしさがないから痛みがない。
嫌味じゃなくて、とっくに痛みがない。
昨日のことのように覚えているのに感覚がない。
だからなにもこわくなくて、それだからもちろん痛みがない。
こわいものがないのも考えものである。
失うのがこわいから守っていけるはずだとおもう。
家族や親友や恋人や、仕事。
積み上げたキャリア、作り上げたイメージも、少し無理な付き合いをして得たコネクションも。
こわいものがないのは、まるで失うものがないようで露骨に嫌な顔をする横顔をながめる。
鏡の中だってフェイクだったら、自分なんてまぼろしみたい。
「すみません、もう少し自分がまともではないことを自覚します」
触れる肌がよく馴染み、めをとじたときにかかるまつげの影をあいしていた。
仕事に生活を殺されないようにユーモアを忘れないというのはまるで、仕事が悪者みたいになるけれど、そんなことはないとおもう。
そっちの世界とこっちの世界は、どちらもとんでもなく大切だと。
また陽が落ちて、めくったページにかげを落とす。既視感がある。思い出しているのに懐かしさがない。
はじめてのことみたいに、いつも驚いて、いつも悲しくて、いつもうんざりする。
春の風が強く吹く。
あっという間に椰子が揺れる季節がくる。
もしくはshawty、気が強くないと気づいたならつまらない話はやめてくだらない話を飽きるまで聞かせて。
あの頃みたいに溶けて消えてしまいそうなjuly、想いを馳せまくってはフィルターを落とす。
雨の夜にフォーカスした玄関先からほど近くにうつる光をあいしてる。
4年ぶりの新居は日当たりがとてもよくて、洗濯物がよく乾く。
部屋が明るくてキラキラしていてやさしいきもちになれた。
本当は窓でもあけて休日午後ひなたぼっこしたいのだけど、今年もやってきた花粉症に悩まされてなかなか気が進まないので、バシバシ花粉症の薬を買うし飲む。
ていうか、ぜったいにおこらないから世の中に杉を植えまくった人と話したい。
まじでぜったいにおこらないから。